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介護を考える01.総論

みんなの介護学ーー職人的専門職とローカルな創造性
広井良典(千葉大学法政経学部教授)

介護をめぐる「光と影」ないし“理想と現実”

 この文章は、介護という仕事のもつポジティブな可能性や今後の広がりを論じようとするものだが、まずはクールな視点で現状を見る時、介護についてはその「光と影」、あるいは“理想と現実”の間にある種のギャップがあり、あるいはその両者が拮抗していて、今はその分岐点のような時代状況にあると言えるのではないだろうか。
 このうち「光」あるいは“理想”の側面について見れば、介護という分野は、人の生活の基本部分を支え、サポートするという、社会の中でもっとも根幹をなすような重要な仕事といえる。あるいはそれ以前に、デスクワークで数字の羅列を追ったり、あまり意味があると思えない会議が続いたりするような多くの仕事に比べて、それは単純におもしろく、「クリエイティブ」な要素を含む仕事であるだろう。
 しかし他方で、「影」あるいは“現実”の側面を見れば、これまでも多く論じられてきたように、介護という分野は他の領域に比べて離職が多く、離職率は近年低下傾向にはあるものの、全産業分野の平均よりも高くなっている(産業全体の平均が15・6%に対し介護分野は16・6%[2013年度、厚生労働省労働政策審議会資料])。また勤続年数は全産業平均の11・9年、サービス業全体の8・8年に対し介護分野は7・1年となっており短い。
 こうした傾向の背景としてやはり大きいのが介護分野の給与あるいは賃金の低さであり、全産業平均の32・4万円、サービス業全体の27・4万円に対し介護分野は23・8万円となっている。先ほど言及した介護分野での仕事のやりがいということも合わせると、こうした状況は、一歩間違えれば“やりがいの搾取”とも呼ぶべき状況、あるいはある種の「バーンアウト」を生みやすいということも確かな事実であるだろう。実際、離職率の高さがそれを示しているとも言える。
 一方、少し視点を変えると、今後の急速な高齢化の中で、首都圏などを中心に介護へのニーズが急激に拡大していくという事実がある。たとえば東京都の65歳以上の高齢者の数は、2010年の268万人から2040年には412万人と、144万人も増加することが推計されている(国立社会保障・人口問題研究所「日本の地域別将来推計人口」[2013年3月推計])。この144万人という数字は、たとえば2010年の滋賀県の人口(141万人)や岩手県の人口(133万人)を上回るという、“大変”な数であり、つまり中規模の県の総人口を超える数の高齢者が今後首都圏の各都県では増えていくことになる。
 こうした状況もあり、厚生労働省は各都道府県の推計を踏まえて、現在の需給の推移が続けば2025年度には介護職員が30万人不足する(介護職員数約220万人に対して必要人数は約250万人)との調査を公表するなどしている(2015年1月)。またこのような現状を受けて、介護分野では相当な「人手不足」が生じているとされており、介護関連職種の有効求人倍率は2・3倍という高い水準になっている(2014年度)。
 こうした事実、つまり介護をめぐる“需要と供給”の動向を踏まえて、「だとすれば介護関連の雇用主あるいは経営サイドは、介護職員を確保すべく賃金を上げるはずであり、そしてやがては需給が均衡するような適正な給与水準に至るのではないか」という見方が当然ありうるだろう。さらには、「介護の分野は介護保険という公的な制度で規制するよりは、むしろ市場経済に委ねた方が、賃金も上昇してうまく機能するはずだ」という意見を主張する人も出てくるかもしれない。
 私たちは、以上述べてきたような介護をめぐる様々な状況や課題にどう対応したらよいのだろうか。
 結論から言うと、私自身の考えおよび提案は次のようなものである。
 すなわち、介護という領域は市場経済に委ねてしまうと一層低賃金になりがちであり── なぜそうなるかの理由は後ほど説明する── むしろ(北欧諸国などが典型であるように)公的な財政ないし枠組みにおいて評価するのが妥当であり、その中で賃金水準を高めていくと同時に、たとえばドイツの公的「マイスター」制度のように、いわば“職人的な専門職”のようなものとして確立し、そうした中で社会的な認知や評価を高めていくことが重要である、というものである。
 こうした考えや方向について、以下様々な切り口から考えてみよう。

学生の小レポートから

 このテーマへの一つの入り口として、今の大学生は介護という仕事あるいは領域をどう見ているのだろうか。私は大学で「社会保障論」という、通年の大教室の講義(受講者は250名程度)をここ20年ほど行っているが、数回の講義に一度、授業で取り上げた話題に関する小レポートを書かせている。介護関係その他を取り上げた際の最近の学生の小レポートには、たとえば次のようなものがあった。

学生A
「普段から、ニュースの報道番組や雑誌などで介護労働者の数が不足しているという情報を見てきたが、その原因の一つに毎回低賃金が挙げられている。当然、賃金が低い仕事を選ぶ人間は少ないだろう。そして自分が気になるのは、介護労働は、特に若い世代において、その内容の重大さ、大切さに比べて社会での職に対するイメージ、地位が不当に、著しく低いのではないか、ということだ。大学の学部の知り合いに『社会の役に立ちたい』といった夢、あるいは大学卒業後の進路の方針を持った人間は多くいるが、介護職を目指している、介護サービスに関わりたい、という人間は少ないように感じられる。実際、世間において難関と言われるような大学に通う学生たちの中には、『〇〇大を出て介護職か…… 』といった意識が少なからずあるのではないだろうか。これでは(少なくとも学力的には)優れた人材が介護業界に供給されないだろう。
 ここで介護職を準公務員のような待遇で迎え入れることを提唱する。『行政職』のように『介護福祉』区分を作る(現在既にあるのだろうが、その人員、範囲を拡大する)。こうすれば、一定の賃金、社会的地位の保障(これはひいては介護職の仕事の重大性に対する社会の正当な評価にもつながる)というインセンティブが生じ、学生は介護を選択肢の一つとして選ぶようになるだろう」

学生B
「私の父方の祖父は、祖母が亡くなった後に認知症になってしまい、はじめは私たち家族と暮らすことになっていたのが、途中から厳しくなってしまい施設を利用していました。その当時、私は高校生だったので何もお金に関して聞いていなかったのですが、後に聞くと、やはりけっこうお金がかかったと聞きました。改めて介護施設の料金の高さを実体験してみて思ったことは、ほとんどの高齢者は、施設に入るだけのお金は持っていないのではないかということです。私の家の場合、長男である私の父が全額負担していました。このように、子どもが支払うパターンが一般的だと思います。高齢者はいきなりどんな病気になるか分からないですし、施設に空きがあるとも限りません。日本はどんどん高齢化が進んでいるため、絶対に避けて通れない問題だと思います。施設の数、そして働く従業員をしっかり確保しなければいけません。しかし現状として、低賃金という問題があります。これは正直な疑問なのですが、どうして介護施設に入るにはお金が高いのに、そこで働く従業員の賃金は安いのでしょうか?」

 ある意味で、いかにも学生が考えるような“甘い”内容という面もあるかもしれないが、しかし“業界内部”の議論とは異なる、介護をめぐる様々な問題の本質を率直に、鋭く突いた指摘も含まれていると思う。同時に、現在の学生あるいは若い世代が「介護」という仕事をどのように認知しているかの、その“イメージ”の一端が示されているだろう。

ケアと農業と文化

 ここで、介護職の賃金という点も含め、そもそも介護という領域をどのようにとらえるかという点に関する私の考えを述べてみたい。
 やや唐突に響くかもしれないが、実は「農業」と介護(あるいはより広く「ケア」)という二つの領域は、意外な共通性をもっている。
「農業」は英語でagricultureで、これはもちろんcultivate(耕す)と関連しているが、この語源はラテン語の動詞のコレール(colere)という言葉のようだ。その原義は「世話をする」であり、「ケア」という言葉もこのコレールに由来している。つまり“自然の世話をする”のが農業、“人の世話をする”のがケアあるいは介護ということだ。
 さらに、もう一つこれらに関連しているのが「文化」である。文化は英語でカルチャーだが、このcultureという言葉は先ほどの農業の「アグリカルチャー」と密接な関係にある。つまりどちらも“耕す”あるいは前述の「世話をする」ということと重なっているのであり、このように、「農業」「ケア」「文化」はいずれも“世話をする”ないし“耕す”という同じ語源から由来している。以上をまとめると、

  • 自然の世話をする → 農業
  • 人の世話をする → ケアまたは介護
  • 心の世話をする → 文化

ということなのだ。
 しかし物事はそう簡単には進まない。いま述べている「ケアと農業と文化」には、実はもう一つの(ある意味でやっかいな)共通点があるのだ。
 それは、「市場経済において十分な貨幣的評価を受けにくい」という点である。ケアも農業も文化も、そうなりがちであることは、あらためて説明するまでもないだろう。農業も、間違いなく人間あるいは社会の根本を支える分野であるにもかかわらず、収入は高いとは言えず──私は父親の実家が農家だったのでこのことは実感としてある程度わかる── 介護分野と同様に離職者も多い。文化についても、前述のようにまさに人間にとっての“心の糧”でありながら、アーティストとして生計を立てていけるのは現実にはごく一部に限られるだろう。
 それは一体なぜだろうか。少々理屈っぽい話になってしまうが、それは「時間」ということと関係していると私は考えている。つまり、市場経済というものは、何よりスピードが大事で、短い時間の尺度で物事を評価する。ところが、ケアも農業も文化も、そこでは長い時間にわたる、息の長い、人と人(コミュニティや世代的なつながり)、人と自然との関わりが重要であり、場合によってそれは次の世代やさらにその先まで及ぶような時間の流れを含んでいる。けれども市場経済はそんなことは視野に入れず、短期的な“効用”にもっぱら関心を向けるので、福祉や農業や文化といった分野は、その本来の価値に相当するような貨幣的評価を受けにくいのだ(下図参照)。

市場経済─ コミュニティ─ 環境(自然)の関係
介護(ケア)や農業、文化といった、コミュニティや自然に関わる領域は、
市場経済の短い時間軸では十分にその価値が評価されない。
 したがって、そうであるがゆえにこれらの領域においては、公的な枠組み(介護に関しては公的介護保険等の制度)においてその価格を市場より高めに(本来の価値が評価されるよう)設定し、つまり公的なプライシング(価格づけ)を通じて“市場での低い評価(理論的には時間軸をめぐる「市場の失敗」)”を是正する必要があるのだ。
 介護以外の例では、2012年から自然エネルギーに関する固定価格買取制度という制度が(ドイツにならって)日本でも導入されたが、こうした制度は、「自然」に関する価値が低く評価されがちであるのを、公的なプライシングを通じて是正し、それによって自然エネルギーの普及を促す仕組みとして把握することができる。ヨーロッパにおいて広く農業に関する公的支援策が行われているのも同様の視点で理解することができるし、文化の支援のための公共的な「文化政策」が活発に進められていることも同様である。
 先ほど提案した介護に関する公的な「マイスター」制度の創設も、こうした(長い時間軸の中での)職人的アートとしての醸成・育成と、社会的評価の確立を公共的に進めていくという趣旨のものだ。介護という仕事には、長い時間を通じた“熟成”が重要なのである。

ケアと「ローカル」の重要性

 さてもう一つ、これからの介護を考えるにあたって重要なのは「ローカル」という視点である。先ほどの「ケアと農業と文化」の話が“時間”に関するとすれば、こちらは“空間”に関するものと言ってよい。
 身近な話題から始めると、ここ数年、ゼミの学生など若い世代を見ていて、「ローカル」なものへの関心が確実に強まっているのを感じてきた。
 たとえば静岡出身のある学生は、「自分の生まれ育った街を世界一住みやすい街にすること」という研究テーマをゼミの志望理由にしていたし、新潟出身の別の学生は、新潟の農業をもっと活性化させることを最大の関心事にしていた。
 また、数年前に大学を卒業して東京の某大企業で働いていた男子の元ゼミ生から連絡があり、自分はやはり地元の活性化に関わっていきたいので、いまの会社をやめて郷里(岐阜の高山)の地場産業の企業で働くことにしたという。前後して、大学を終えた後イギリスの大学院に行き、帰国後は東京の会社で2年ほど働いていた女子の卒業生が、やはりそこをやめて故郷の島根に戻って働くことになった。
 これらはほんの例示にすぎず、似たような話は枚挙に暇がない。また、以上がどちらかというと大卒など比較的学歴の高い層の話だとすると、“ヤンキー経済”といったことが言われたりするように、高卒などを中心とする中堅層においても地元への志向が浸透しつつある。
 言うまでもなく介護という領域、あるいはケアや教育、より広く「対人サービス」と呼ばれる領域は、本来的に「ローカル」な性格のものであり、以上のような話題と深く関わってくる。
 こうした若い世代の「ローカル志向」は、必ずしも私自身のまわりの限られた現象にはとどまらないようだ。たとえばリクルート進学総研の調査では、大学に進学した者のうち49%が大学進学にあたり「地元に残りたい」と考えて志望校を選んでおり、この数字は4年前に比べて10ポイントも増えている。また文部科学省の2014年度調査では高校生の県外就職率は17・9%で、2009年から4ポイント下落している。さらに内閣府が2007年に18~24歳の若者を対象に行った調査では、今住む地域に永住したいと答えた人は43・5%と、1998年の調査から10ポイント近く増えたという。
 こうした若い世代の志向について、最近の若者は“内向き”になったとか、“外”に出ていく覇気がないといった批判がなされることがよくあるが、これほど的外れな意見はないと私は思っている。“貿易立国”の名のもと、「アメリカ─日本─アジア」「中央─地方」といった序列や枠組みの下でのみ物事を考えてきた結果が、現在の地域の疲弊や空洞化、あるいはコミュニティの崩壊ではなかったか。以上のような若者の志向は、むしろ“日本を救っていく”新たな動きと見るべきであり、それに対する政策的な支援策こそが求められている。
 ちなみに、実は日本の貿易依存率(GDPに占める輸出入の割合)は10%強で、多くの国が3~4割である中でむしろ「低い」部類に入る。つまり日本は内需によって支えられている傾向の強い国なのであり、高度成長期を通じて“輸出立国神話”が作られたと言っても過言ではない。
 ところで、ではそもそもなぜ以上のような若い世代の「ローカル志向」が高まっているのだろうか。これにはいくつかの理由があるが、もっとも根本的な背景は次の点にあると私は考えている。
 すなわち高度成長期を中心に、拡大・成長の時代においては、工業化というベクトルを駆動因として世の中が「一つの方向」に向かって進み、その結果、各地域は“進んでいる─ 遅れている”という時間軸に沿って位置づけられることになった(東京は進んでいる、地方は遅れている等々)。ところがポスト成長の時代においては、そもそもそうした一元的な時間座標が背景に退き、逆に各地域のもつ独自の個性や風土的多様性に人々の関心が向かうようになる。単純化して言えば、時間軸よりも「空間軸」が前面に出る時代になっていくのである。
 若い世代のローカル志向や地元志向は、大きくはこうした構造変化によるものであり、言い換えれば、脱成長の時代とは「グローバル化の先のローカル化」が進んでいく時代であるということだ。
 そしてまた、こうした時代状況において、今後は“ローカルな地域の中でヒト・モノ・カネが循環していく”ような社会のありようが、コミュニティや人のつながりにとっても、雇用にとっても、また地域経済の活性化や地域再生という点からも重要になってくる。私はこうした方向を「コミュニティ経済」と呼んでいるが(※1)、介護あるいはケアの分野は、高齢化という時代の流れも含めて、その中心的な柱になっていくだろう。
 ちなみにアメリカの都市経済学者リチャード・フロリダは、著書『クリエイティブ資本論』の中で、これからの資本主義を牽引していくのは「クリエイティブ産業」と呼ぶべき分野(科学、文化、デザイン、教育など)であるという議論を行っているが、同時に、それは次のような特徴をもつと述べている。
 それは第一に「非貨幣的」な価値、つまり“お金に換算できない”ような価値が労働における大きな動機づけになっていくという点であり、第二に「場所」や「コミュニティ」というものが、(グローバル資本主義は場所の制約を超えてボーダーレスに飛翔していくという通常の理解とは異なって)重要な意味をもつようになるという点である(※2)。
 フロリダの議論は、①富の「分配」の問題が背景に退いていること、②「成長主義」的であることにおいて“アメリカ的”な限界をもっているが、逆にそれはある種の資本主義の「反転」論として読むこともできる。つまり前述の「非貨幣的な価値」も「コミュニティ」「場所」も、本来の資本主義が内包しない、あるいは根本において矛盾するような価値のはずであり、しかし資本主義が進化していったその展開の先において、その“内部”から生成してこざるをえない、新たなベクトルであるという点である。
 介護という領域のもつローカル性や、先ほど指摘した“職人的専門職”としての創造性やアート性は、こうした議論ともつながり、さらには(ここでは指摘にとどめるが)「一回性の科学(ないし個別性の科学)」あるいは「関係性の科学」とも呼ぶべき新たな科学のあり方をも先導していく性格をもっている(※3)。
 本稿の冒頭に記した、介護をめぐる「光と影」ないし“理想と現実”という拮抗的な状況を超えて、それをポジティブな方向に発展させていく、今が大きな分水嶺ではないだろうか。それは介護の関係者にとってのみならず、日本の社会やコミュニティや経済や地域再生等々にとっても本質的な分水嶺になるはずである。

【参考文献】
※1 広井良典『人口減少社会という希望』(2013、朝日選書)
※2 リチャード・フロリダ(井口典夫訳)『クリエイティブ資本論』(2008、ダイヤモンド社)
※3 広井良典『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来』(2015、岩波新書)

広井良典(ひろい・よしのり)1961年岡山県生まれ。千葉大学法政経学部教授。専攻は公共政策、科学哲学。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了後、厚生省勤務を経て、千葉大学法経学部助教授、2003年より現職。著書に『日本の社会保障』『定常型社会』『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来』(以上、岩波新書)、『ケアを問いなおす』(ちくま新書)、『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書、大佛次郎論壇賞受賞)など多数。