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介護を考える14.食

「食の記憶」という人間の尊厳
細川亜衣(料理家)

人が生きる上で欠かせない「食べる」という行為は、単に栄養を取り込むことだけで充足させられるものではない。見た目の彩りや香り、素材がもつ季節感やその土地の特徴を五感で感じること。そして言うまでもなく、その料理をいつ、どこで、誰と食べるのかということも重要だ。人間の尊厳に関わる「食の記憶」について、料理家の細川亜衣さんに個人的な体験を綴っていただいた。  

 

 父方、母方、それぞれの祖父が亡くなったのはもう随分前のことになるが、二人が天に召された夏がやって来ると、脳裏に浮かぶ記憶がある。
 父方の祖父はハイカラな人だった。若かりし頃、駐在員としてロンドン暮らしをしていたせいだろうか。いつも洒落た三つ揃いを着て、首元にはきゅっと蝶ネクタイをしめ、ステッキをつき、帽子をきちんとかぶって出かける祖父を、小さな私は心なしかいつも緊張の面持ちで眺めていた。しかし、私たち家族の家とは渡り廊下でつながっていた祖父母の家に行くと、そこには外出時の〝ジェントルマン〞から一転して、くつろいだ祖父の姿があった。毎晩、必ずのように冷や奴と刺身をつまみ、巨人戦を見ながら時にテレビに向かってかけ声を送る。たとえ私たち家族が食卓に同席する時でも、冷や奴と刺身は祖父だけのためにあつらえられていた。そのせいか、私にとって冷や奴と刺身は、日常的なものであるはずなのに、どこか亡き祖父だけにゆるされた特別な料理のように思えることがある。
 一方、母方の祖父は町医者だった。とはいえ、私が物心ついた時にはすでに隠居の身だったので、私は祖父が医療の現場に立っているのを見たことはない。私たち兄妹を溺愛してくれた祖母に会いたい一心で、電車にゆられて祖父母の家に行くと、縁側の籐椅子に座った祖父が、「いらっしゃい」と丸眼鏡の向こうから私を静かに見つめ、思慮深い瞳で迎えてくれる。
 祖母は料理上手だったが、孫とはいえ外でご馳走をすることが最大のもてなしと考えていたようで、私たちが遊びに行くと、隣近所にある老舗の鰻屋に連れて行ってくれることがしばしばだった。また、祖父が、晩年外出を渋るようになってからは、必ずのように「亜衣ちゃんもおじいちゃまとお夕飯あがってからお家に帰りなさいよ」と、祖父と私の分の鰻の出前を取ってくれた。口数は多くなかった祖父と向かい合って食べる鰻重。それは香ばしい香りや甘辛いたれの味よりも、一種独特の静けさと重なって思い出される。そのせいなのだろうか、私は今でも鰻はひとり黙々と食べるのが好きである。
 二人の祖父は、それぞれ病に倒れ、あっという間に逝ってしまったが、最期を看取ることのできなかった私にとって、彼らの思い出は昔もいまも平和なままだ。冷や奴と刺身、そして鰻。若い頃の彼らの素顔を知る由はないけれど、いずれにしても、二人とも畏敬の存在であったことに変わりはない。しかし、好きなものを笑みを浮かべながら食べる姿は、同じ人間としての親近感を覚えさせてくれたように思う。
 そもそも、ひとりの人間にとって、人生をつなぐ食べ物というのは、その人そのものを象かたどるものになりうる。そこに食べ物が介在していなければ忘れてしまったかもしれないことも、私たちが自分の手を使って箸でつまみ、口に入れ、咀嚼し、嚥下することで記憶の襞ひ だに深く刻まれて行く。また一方で、失った人を憶お もう時、その人となりがまざまざと浮かぶのは、言葉や仕草などよりも、その人にまつわる食べ物であることが多い。これは私だけに限ったことなのかもしれないが、他にどれだけたくさんの思い出があろうとも、思い起こすのは食べることにまつわる記憶ばかりである。
 料理が生まれる源泉には、土地、季節、人など、さまざまなものがあるだろう。中でも、私にとって、記憶ほど大きなインスピレーションになるものはない。ある素材を前にして、たぐり寄せるのは、あの時食べたものの色。あの匂い。あの組み合わせ。料理を学び始めた頃には、料理書や誰かから教えてもらったレシピと首っ引きで料理することが多かった。しかし、次第と自分の感覚のみを信じるようになった。一番の先生は、目の前にある素材そのものである。素材を眺めたり、齧か じったりしながら、何かを糸口としてたぐり寄せる記憶の中の風景。それは実際に自分が体験したことだけに、説得力がある。
 食べることが、生きることの大きな軸だとしたら、人生の記憶には、日々食べてきたものの断片が堆うずたかく積み重なっているのであろう。だから、私は食べることを疎かにしたくない。それは何を食べるかだけではなく、いかに食べるのかということまで含めて、人は一生をかけて食べることで自らを生かしてゆくのだということを、心に留めておきたいと思う。

細川亜衣(ほそかわ・あい)1972年生まれ。料理家。大学卒業後にイタリアに渡り、帰国後、東京で料理家として各メディアで活動。2009年より熊本に拠点を移し、細川亜衣料理教室camelliaを主宰するほか、全国各地で食にまつわる様々なイベントを行っている。著書に『食記帖』『スープ』(ともにリトルモア)など。